暗渠めぐり@西小部川

鈴蘭台を流れる地下河川「烏原川」を紹介するぜ! といってまずはその代表的な支川である「小部川」を3回にわたって紹介してきた。

あれから3年以上の年月が経つわけだが(いったい何をしておるのか……)、今回はその続きとして「西小部川」を紹介したい。

目次

謎の暗渠

前回の「小部川」の北部に位置する、このほか東小部川も存在するがどれも山田町小部に存在している。
こちらは山田町小部字北ノ谷に端を発している。……のだが、その前にどうもよくわからない謎めいた暗渠がある。





交差点北東角にある自動車販売店の裏側から、松宮台に向かう道路を挟んで向かいにあるガソリンスタンドの裏手につながっている。

Google Mapより(2019年)
この赤い矢印のところが写真の地点だ。

地図・空中写真閲覧サービスより(1974年)
1974年時点の航空写真を確認すると調整池とみられるものが南北に2つ並んでおり、これが埋め立てられて道路とスポーツクラブに自動車販売店が造成されたのであろう。
写真の矢印(緑)に水路のようなものがみられるが、ではこれが写真の暗渠と思われるものに該当するのかというとそれも怪しくて、Google Mapの矢印(赤)の地点とずれているのだ。






この謎の暗渠(と思われるもの)は、その後ガソリンスタンド・メガネ販売店ファミリーレストランとその店舗の裏手を流れ開渠となり調整池へと注いでいる。

地図・空中写真閲覧サービスより(1991年)
1991年時点の航空写真、まだ市道長田箕谷線の北ノ谷区間が開通する前、赤矢印がこの調整池のある場所あたりだと思われる。
「この調整池が西小部川の始まりか?」、残念ながら違うのだ。

西小部川端部



この調整池の横に河川があり、開渠となっているところが「準用河川 西小部川 上流端」となっていた。おそらくこの暗渠の元が緑矢印ではなかろうか、そうすると赤矢印はなんなのかなぞが残る。 さて、気を取り直して下流方面を見ていこう。

コンクリート三面張りの全く面白みのない「大きな溝」だ。

ここで貯水池の吐口がある,そちらの流量の方が明らかに多い。



バイクショップの裏手で河川が蛇行している、おそらくここまで直線的だったのは流路を変更したからなのだろう。

暗渠群


国土地理院地図より


ここでいったん暗渠となる,道路を挟んで向こう側に移る、上記地図の1の地点だ。


開渠となった後すぐに再び暗渠となる、2の地点。

「北ノ谷」交差点内には珍しく「河川」の文字が描かれたマンホールがあった、上記地図の赤矢印の地点だ。

開渠

この地点で再び開渠となっている
この写真の矢印(青)の地点なのだが道はすでに上りに差し掛かっており、おそらくこの坂は築堤なのだろう。

うーん季節が悪いっ! 葛が多い茂っているその下に川があるはずなのだ。

この金網の向こうが河川。

烏原川3号調整池

3号というからには1~2号もあるわけですが、2号と3号は本流沿いにない。
「神戸市道 鈴蘭台環状線」(西小部大橋)の造成に合わせてなのか、調整池造成に合わせてなのか、またはその両方なのか、市道の延伸で架橋された西小部大橋の下に地下調整池を持った多目的広場が造成された、その際河道も付け替えられている。


久保田建設 実績3より
(※残念ながらブックマークしていたサイトがなくなっており、どこの「久保田建設」からとってきた情報がわからなくなってしまった)



呑口

この下に調整池がある




パンフレット「こうべの川」4.神戸の河川改修の特徴より[PDF]

調整池~烏原川合流



やっぱり葛に覆われてサッパリその全貌が見えない
(1枚目:下流に向かって・2枚目上流に向かって)


何かの工事が行われていたため草が刈られていたのだが……川がない!? どうやらここでまた暗渠になってしまっている様子。

道路と神戸電鉄の線路下を流れている

これは暗渠サインとしてとても分かりやすい暗渠蓋、1947年ごろの航空写真を見ると開渠であったようにも見える。なぜ蓋がされてしまったのだろう。

合流地点。まっすぐが西小部川で、右から道路下を流れてくるのが烏原川だ。

旧河道

烏原川3号調整池のところで「河道も付け替えられた」と書いた。


地図・空中写真閲覧サービスより(1991年)

写真奥で現在の河道から90度向きを変えこちらに向かって流れていた。


今もその跡は水路として残っている。

どこからか水もやってくるようだ。

そしてここで土管に吸い込まれてしまう。




橋を潜った向こうで再び顔を出し現河道へ注いでいる。